混沌の時代、21世紀に入って5年。
こんな時代に何故か、
少女マンガ。
友人にDVDを借りて、久しぶりに見ました。
今回は、さらに耳をすませばの事を知りたいと思い、ヘッドフォンをしながら、音響も本格的に見たのでした。
見るんじゃあなくて、観たのでした。
聞くんじゃあなくて、聴いたのでした。
しかし今回は見るんがツラかった。
所々の場面、セリフで「ぎゃーー!!」「やめてくれーー!!」など叫びながら、ヒイヒイ言いながら見る事に・・・
この事から、改めてジブリ映画の奥深さ、というものが分かりました。
初めて見たのは僕が高校2年の時のTV放送なんですが、そのときはただの面白い映画、好きになれる映画、というぐらいでした。
「いい話で、いい世界観だ。」というストレートな見方と感想。
でもあれから10年経って。
あの時とはまた全然違う視点、前見たときは何も思わなかった所で「お!!」と、目が止まったりととても新鮮に見る事が出来ました。
そしてそれによって新しい発見、昔とは変わった自分自身、耳をすませばの奥深さ、が分かったのでした。
今回は特に、ストーリーの中心、というか話とはまったく関係ない部分の「つなぎ」の部分に含まれる意味、製作者側の込めたメッセージ、なんかがグッ来ましたね。
この話と関係無い部分、演出こそが深い所なんですね。だからジブリの映画は何度見てもなかなか飽きないんでしょうね。
初めて見てからは10年経ってるワケですが、決して10年ぶり、というわけではなく、今回で見たのはおそらく6、7回目です。
高校時代で4回ほど、一人暮らし大学時代に2回ほど、塾バイト始めてからもTVでやってたけど、じっくりとは見てないので、実質5年ぶりぐらいでしょうか。
この塾の仕事をした事によって、分かるようになった場面、というのが、雫が成績を落として家族会議になる場面とかなんですよね。
自分は大学受験はそれなりに少しは悩みましたが、高校受験は全く何も悩むことも無く、「受験生」というほどのモノも無く、特に何も無く、勉強も特にする事も無く過ぎていったので、この耳をすませばでの「高校受験」というモノ、特に「普通の、ソコソコの学力の女の子」、にとっての受験というものの『大きさ』が分からず、その場面に何も思うことは無かったんですが。
今はそういう子を見た経験から、どういう事か、とか本人、姉、親の思いが分かるようになったんですね。
他にも、雫が貧乏ゆすりをしながら小説を書くシーンとかも当時何も思わなかったんですが、今は違いますね。
ああ、よく観察してるな、と。
そして、あまりにも、あまりにも、運命を感じてしまったのが。
そのシーンに出てくるカレンダー。
10月18日・・・・今日じゃん!!!・・・運命だ・・・
ボクと耳をすませばは・・・運命だったんだ・・・
耳をすませば、本当にいい映画だ。
早速、改めて原作も見たいと思い、古本屋で原作を買ったのでした。
こんな時代に何故か、
少女マンガ。
友人にDVDを借りて、久しぶりに見ました。
今回は、さらに耳をすませばの事を知りたいと思い、ヘッドフォンをしながら、音響も本格的に見たのでした。
見るんじゃあなくて、観たのでした。
聞くんじゃあなくて、聴いたのでした。
しかし今回は見るんがツラかった。
所々の場面、セリフで「ぎゃーー!!」「やめてくれーー!!」など叫びながら、ヒイヒイ言いながら見る事に・・・
この事から、改めてジブリ映画の奥深さ、というものが分かりました。
初めて見たのは僕が高校2年の時のTV放送なんですが、そのときはただの面白い映画、好きになれる映画、というぐらいでした。
「いい話で、いい世界観だ。」というストレートな見方と感想。
でもあれから10年経って。
あの時とはまた全然違う視点、前見たときは何も思わなかった所で「お!!」と、目が止まったりととても新鮮に見る事が出来ました。
そしてそれによって新しい発見、昔とは変わった自分自身、耳をすませばの奥深さ、が分かったのでした。
今回は特に、ストーリーの中心、というか話とはまったく関係ない部分の「つなぎ」の部分に含まれる意味、製作者側の込めたメッセージ、なんかがグッ来ましたね。
この話と関係無い部分、演出こそが深い所なんですね。だからジブリの映画は何度見てもなかなか飽きないんでしょうね。
初めて見てからは10年経ってるワケですが、決して10年ぶり、というわけではなく、今回で見たのはおそらく6、7回目です。
高校時代で4回ほど、一人暮らし大学時代に2回ほど、塾バイト始めてからもTVでやってたけど、じっくりとは見てないので、実質5年ぶりぐらいでしょうか。
この塾の仕事をした事によって、分かるようになった場面、というのが、雫が成績を落として家族会議になる場面とかなんですよね。
自分は大学受験はそれなりに少しは悩みましたが、高校受験は全く何も悩むことも無く、「受験生」というほどのモノも無く、特に何も無く、勉強も特にする事も無く過ぎていったので、この耳をすませばでの「高校受験」というモノ、特に「普通の、ソコソコの学力の女の子」、にとっての受験というものの『大きさ』が分からず、その場面に何も思うことは無かったんですが。
今はそういう子を見た経験から、どういう事か、とか本人、姉、親の思いが分かるようになったんですね。
他にも、雫が貧乏ゆすりをしながら小説を書くシーンとかも当時何も思わなかったんですが、今は違いますね。
ああ、よく観察してるな、と。
そして、あまりにも、あまりにも、運命を感じてしまったのが。
そのシーンに出てくるカレンダー。
10月18日・・・・今日じゃん!!!・・・運命だ・・・
ボクと耳をすませばは・・・運命だったんだ・・・
耳をすませば、本当にいい映画だ。
早速、改めて原作も見たいと思い、古本屋で原作を買ったのでした。